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【話題ネタを検証】一流料理人は本当に美味しい料理を作れて評価もできるのか?

料理人ニュース・情報
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あるテレビ番組での一流料理人のジャッジが波紋を生みちょっとした騒ぎになってますが、
世の中には一流レストランとか一流寿司店などと呼ばれる飲食店があります。
そこで働く料理人たちは一般に一流シェフとか一流料理人などと称えられています。
しかし、その料理人たちは本当に美味しい料理を作れる技や技術を持っているのでしょうか?

また、他人の料理を正当に評価できるスキルを持っているのでしょうか?

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一流料理人の定義とは?

一般に一流料理人と呼ばれる人たちは輝かしいキャリアを誇っています。
名だたる名店や一流ホテルなどで修業を積んでおり、
その経歴の確かさに偽りはないと思います。

では一流名店で修業を積んでいれば一流料理人になれるんでしょうか?
もちろんそんな簡単なわけがありません。
名店に在籍しただけで一流料理人になれるのなら世間は一流料理人だらけになってしまいます。
一流料理人と呼ぶに相応しいのはその腕で顧客を唸らせた者たちだけであり、
誤魔化しの効くような甘い世界ではなさそうです。

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美味しいとは限らない?

誰もが一度や二度は一流名店で食事をしていると思いますが、
もしかしたら美味しいと思わなかったこともあるのではないでしょうか?
おそらく多くの方がそういう思いや経験をしてると思います。

「きっと自分がそういう料理に慣れていないから」

と思われたかも知れませんが、これ、実はかなり難しい問題かも知れません。
まず、一流の食材を使って一流の料理人が作った料理でも口に合わないものはあります。
では「口に合わない料理=ダメな料理」なんでしょうか?
もちろんそんなことはありません。
料理の世界というのは奥深く、そんな単純な評価をするのは失礼だと思います。

一流料理人の世界というのは単純な美味しさだけが基準ではないようで、
素材を生かした味を出せているかどうかが重視されることもあります。
つまり調味料をどんどん混ぜて作っていくような味が必ずしも一流の味とは限らず、
一流で腕のある料理人ほど素材を生かす料理にこだわっているような気もします。
そういう料理人からすればそもそも「美味しい」の感覚が一般人とは違うのだと思います。

天然野菜

料理評論家を相手にしていない?

世の中の料理評論家と呼ばれる方々は難しい仕事をしています。
それは料理が単に美味しければ良いというものではないことを知っているからですが、
そうかといって美味しくない料理を高く評価するのも難しいです。
そんなことをしていると世間から味音痴な評論家とレッテルを貼られてしまいます。

料理人としての実績もある料理評論家は大衆受け狙いだけのような評価はしないようですが、
グルメレポーター的な評論家は美味しいかどうかだけで評価する人もいます。
それも料理の評価として間違っているとは言い難く、
「素材を生かすなんて関係ない、結局のところ美味しければ正義」
と考える人だって世の中にはたくさんいます。

こだわりのある一流料理人は料理評論家向けに料理を作っているわけではありませんが、
それは料理評論家が「わかってない人たち」だからではありません。
むしろ本物の料理評論家は誰よりもそれをわかっていることを知っています。
ただ、世間の受け狙いで料理を評価する人には興味はないようで、
多くの一流と呼ばれる料理人の方々は評論家や世間の声に無関心なようです。
いや、無関心というよりあえて耳を傾けていないといったほうが正解かも知れません。

自分の信念で料理を作っているので世間の声には興味がないのだと思います。
結果として「世間の評価なんて関係ない」という頑固な姿勢に見えてしまいますが、
これは決して客のほうを向いて仕事していないというわけではありません。

厨房

完全予約制レストランの個性派料理

以前、長野県にある完全予約制で限定日しか営業しないレストランに招待されたことがあります。
こだわりの旬の食材を使った料理を提供するレストランで、
招待客は料理人やソムリエなど、なんらか飲食関係の仕事に従事している方々が中心で、
中には私のようにホテル支配人という立場で招待された人物などもいました。

料理は高品質な地元食材を丁寧に時間をかけて調理したハイクォリティなもので、
まさに絶品と呼ぶに相応しいものでした。
提供された料理は厳選に厳選を重ねた地元食材を生かしたコース料理でしたが、
料理の腕を披露するというより、その優れた食材の紹介がメインであったように思います。

オーナー(料理人)は大変秀でたキャリアをお持ちの方でしたが、
作り手は脇役で、あくまでも食材がメインだというその考えには深い感銘を受けたものです。

ナイフ、フォーク

天狗になったらお終い

やはりどんな世界でも謙虚な姿勢が重要なのかも知れませんが、
料理人の世界も同じだと思います。
名前は伏せますが、九州のほうで活躍されていた著名な某料理人の方は酷かった。
大阪で開かれたイベントの際、その著名料理人は準備段階から威張り散らし尊大な態度に明け暮れ、
自分がいかに大きな存在なのかを見せつけるような演出にこだわり、
私見ながら肝心の料理は上の空って感じでした。
見るに見かねた若い気鋭のシェフが苦言を呈したところ逆ギレし、
怒鳴り散らし厨房チームの雰囲気は最悪に。
自身が連れて来た調理チームと開催会場の調理師たちとの関係は冷え切ってしまい、
完全な対立構図に…

さらにイベント本番で客に料理の味を伺いながら回っていたところ、
「ちょっと塩気が強すぎるんじゃないですかね?」
と指摘されると逆上し、あろうことか客に食ってかかる始末。

このシェフ…お抱え評論家の忖度記事に守られ今も一流シェフとして料理界に君臨してますが、
そんな感じなので批判する料理人や料理研究家、評論家も多いです。
本人は「本物がわかる人ばかりではないですからね」などと語ってますが、
本物がわかってないのはこのシェフ本人なんじゃないかという気がします。

権威主義が横行する世界では一度それなりの立場に上がってしまうと天狗になりがちです。
残念ながら料理界というのはそういう古い体質が色濃く残っている世界なのかも知れません。

作る匠は評価も一流なのか?

では一流料理人は評価に関しても一流なんでしょうか?
極めて一般論になりますが、やはりこれは一流だと思います。

少なくとも私が面識を得た優れた料理人の方々の評価にブレを感じたことはありません。
忖度なく「良い物は良い、悪い物は悪い」とジャッジしています。
ただ、こういう職人さんたちの評価は基準が厳しすぎる傾向にあるようには思います。
わかりやすい言葉で表現するなら「自分に厳しく、他人にも厳しい」というもので、
総じて自分の環境に照らし合わせて評価しがちな気はします。
評価者としての柔軟性がない人も多い印象で、
そういう意味では正当な評価ができないケースもありそうです。

まとめ

料理人

一流料理人は紛れもなく一流ですし、料理も大変美味しいと思います。
その努力と料理にかける情熱は半端なものではありません。
ただ、中には一流料理人という仮面を被ったそうではない料理人もいると思います。

名だたる名店の料理長だから腕が良いとは限りませんし、
もしかしたら若い弟子のほうが腕が良いかも知れません。
また、世渡り上手な振る舞いで名店の長に就任しているような人物もいそうです。

一流の料理人になるには人の上に立つに相応しい優れた人間性も必要で、
そういう人物ならば自然と優れたお弟子さんも集まります。
すると作られる料理も自然と美味しくなるものです。
そして、お弟子さんの料理を評価する目も曇らないようです。
どんな世界でも一緒ですね。


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